皆さん、こんにちは!
スケマネ インターン生の 三野 悠大 ( みの ゆうだい ) です。
スケマネ カスタマーサクセス、R&Dで活躍中の 天野 友貴( あまの ゆうき )さんにインタビューをしていきます。
天野さんの紹介
天野友貴(あまのゆうき)
今回は、天野さんに
「 スケマネで働くことを決断された理由 」
「 スケマネを通して達成したい自身のビジョン 」
などを掘り下げていきます!
天野さんはいつも明るいイメージがありますよね。そんな天野さんの幼少期について聞かせて頂きたいです。
天野さん
よく明るいねって言ってくださるのですが、最近まで物静かなタイプでした。実際小学生の頃はゲームが大好きで「 外には出たくない!」というような性格で、元々人と話すことは苦手でしたね。
当時流行っていたポケモンのゲームを父にプレゼントしてもらったことがあり、周りにいた友人もみんなゲームが好きだったのでよくゲームするようになりました。
好きで言えば、野球も好きでした。ただ、好きには好きだったのですが、ゲームの方が圧倒的に好きすぎて、土日に野球の練習があっても、早く終わって帰れないかなーなんて考えていました。
小学5年生のときに、母親と父親が離婚して、その反動から「 野球はもういいや。 」と思ってやめてしまったんです。
当時は、これでゲームいっぱい出来るなーって思いつつも、やめるときは野球仲間と離れるのが本当に嫌で大号泣したのを覚えています。野球を通してできた仲間は本当に大好きでした。
両親の離婚は、かなり自分に大きな影響を与えたと思っています。
精神的に大人になったのもこの時期からだと思います。妹と弟もまだ小さくて、面倒を見なければいけないと思っていた部分があったので、責任感も芽生えはじめましたね。
中学・高校時代はどのように過ごしていましたか?
天野さん
中学・高校時代は父親と兄に強い嫌悪感を抱きながら過ごしていました。
兄はいつも夜遅くまで遊んでいて全然家に帰って来ない。生活もだらしなくて家事も全然手伝わない。兄のことで僕自身が学校の先生や警察の人たちと関わらなくてはいけなかったときも何度もあります。
父親はラーメン屋を経営していて、休日でも手伝いに引っ張り出されていました。この頃って僕自身たくさん遊びたい時期だったんですよね。子どもたちの気持ちを全然理解しようともせず、ラーメン屋を手伝わせていると思っていたので本当に嫌でした。
そんな感じだったので、僕はいつも2人のことを避けていましたね。
家族から逃げたいという思いもあって、中学・高校時代は、主にゲームと音楽と友達で僕の生活は成り立っていました。
当時、家に僕の居場所は全く無くて、その代わりに自分の安心できる場所として音楽にハマってたんです。
一人でずっと音楽を聴いていたり、仲の良い友達とカラオケに行ったり、音楽が自分の心の支えになっていました。本当に音楽漬けの毎日だったのでとても楽しかったです。その名残が残っていて、今も週に1度はカラオケに行きますよ笑
特にこのころは周りの友達にも家庭環境が複雑な人が多くて。コミュニケーションをするなかで、お互いに安心できる居場所を創り合っていたんだと思います。
でもこのときに出会った僕の友達は、家庭環境が邪魔して自分の行きたい進路に行けないという人が多かったです。その状況を知ったときとても歯痒かったし「 環境のせいで自分が進みたい進路に進めないなんて、なんか嫌だなぁ・・・」と思っていました。
自分が家族以上に大切にしていた友達だからこそよりその想いは強かったです。
そんなことをずっと考えていたら、ふとこんなことを思ったんです。
「 世界中にも同じような状況の人たちがたくさんいるのではないか 」と。
そして、どうすれば社会的に不利な状況でも、自分の人生に対して自由な意思決定できるのかを考えたとき「 環境問題を解決すれば包括的にその問題がなくなるのではないか 」と考えました。
理由として“ 環境によって人の性格は変わるのでは ”という仮説が自分の中にあったからです。
この想いをきっかけに「 環境問題を解決する手段としてAIなどの技術を利用することを考えていて、技術を学ぶために大学に行こう 」と決めたんです。
それと同時に「 起業もしよう 」と考えていました。自分の力で自由に形にしたいという想いが強かったんですよね。
ただ、全くもって勉強には力を入れてこなかった中学・高校時代だったので、大学受験勉強は本当に大変でした。
でも、なんとなく感じていた“ 危機感 ”が自分の背中を押していたんです。
「 今のままではだめだ、もっと成長しなくては成し遂げられない 」
「 変わらなければいけない 」
そういう想いがあったので最後まで諦めずに頑張ることができました。
大学生活はどのように過ごしていましたか?
天野さん
実は、1年で辞めたんですよ。
大学に居続ける意義を見出せなくなったんです。
元々はAIなどの技術を学ぶ為に大学で勉強しようと考えていました。でも大学ではひたすらインプットをしているだけで、行動に繋がるまでの時間がかかり過ぎて、全然目標に近づいていなかったんですよね。
勉強というのは、行動に付随して必要であれば学ぶべきだと痛感しました。あくまで僕自身の見解としては、大学自体は卒業資格がもらえるだけで、起業とは関係ないという結論に至ました。
葛藤のある大学生活を送るなかで、どのようにしてスケマネと出会ったのですか?
天野さん
起業のために、環境問題や起業に関する意識高い系ツイートをしていたんです。
そんななか、自分に興味を持ってくれる人が何人かいてよく会っていたんですよね。そのうちの1人が主催しているイベントに誘ってくれて行くことになりました。
そこでたまたま仲良くなった人からスケマネを紹介されたのがきっかけでした。
そして、スケマネ代表 髙師さんに出会いました。初対面でいきなりハイタッチから始まったのは後にも先にも髙師さんしかいません。
こんなにも熱量と行動力があってしかも結果を出してるという人に出会ったこともなかったので、とてつもない刺激を受けたのを覚えています。良い意味で「 本当に変わっているなあ 」という印象です。
今ではそのハイタッチが僕らの文化になってます!
スケマネ に入って学んだことは何ですか?
天野さん
大きく2つあります。
1つ目は、自分の感情や欲求など潜在意識を含めて自己理解できるようになったこと。
スケマネ特有の自己分析手法を通して潜在的な自分の感情に気付けたからこそ、今は自分をコントロールし、成長することも行動することも最適にできています。
自分の感情を理解することは、自分の成長のために必要不可欠と言っても過言ではないです。
スケマネに入るまでは感情をさらけ出すこともコミュニケーションも苦手でしたが、今では受容し、自分を深く理解しているからこそ、他者を知ることが出来るので円滑なコミュニケーションがとれるようになりました。
2つ目は「 考える 」ということに対する姿勢が変わったこと。
「分からないはない」し、「出来ないことはない」と思うようになりました。
この姿勢は高師さんから学びました。
何か新しく発見したとき「 あぁ〜 」という反応している時点で、追求が足りていないということ。自分自身のなかでその発見ができるだけの情報量があるときに共通して「 あぁ〜 」という反応をすると言われたときにハッとしました。
「 自分で全てを考えることで、どんなに難しい事象でも自分なりの最適解は必ず出せる。分からないことも分かるまで考えることができるし、できないこともできるまで、どうすればできるか追求できる。」
この言葉を聞いてから、全てを自分ごととして考えるようになりましたね。
それまでは、“ 自分が進む道に責任を負うこと ”に無意識的に怖さを感じていて、色々と意思決定を避けていたんです。
だからこそスケマネで学ぶにつれて「 今までにはない勇気ある意思決定をして自分を変えていきたい!成長したい!」と思うようになりました。
またそんな思いを原動力にしながら、どんどん成長のための行動に踏み切っていきました。
社員としてスケマネで働くことに至った経緯を教えて下さい。
天野さん
スケマネで学び始めてから半年経った時に、高師さんに仕事を依頼されて手伝うようになりましたね。その手伝いをガッツリし始めたのが大学1年生後期のテストが終わってからぐらい。休み期間中は高師さんの家、友達の家、スケマネの先輩の家に泊まらせてもらって全力で手伝いをしてました。
そしてスケマネの仕事をする中で、「 大学に行く意味ってあるのかな 」と思い始めたんですよ。
もうこの時期には「 高校時代に考えていた自分のビジョンはスケマネで達成できる 」と確信していましたし、大学を辞めるか否かを意思決定してその後どうなるかは自分の行動に尽きると思っていたんですよね。
どう意思決定しても目標は必ず達成できる。
その選択を正解にするか不正解にするかは自分次第。
だとしたらもっともっとスケマネでの仕事に集中したいと思い、スケマネで働くことを決断しました。
人生の中でも大きな決断でしたね。
今後スケマネでどのような目標を達成しようと考えていますか?
天野さん
この教育事業を、もっと“ 誰でも ”成長できる教育事業にしていきたいという目標があります。僕たちだけではなく、今後スケマネに入ってくる人たちだけで同じ価値をたくさんの人たちに提供できるようにするというのが大きな目標です。
これはメルカリ CTO 名村さんをはじめとする方々にお手伝い頂きながら、一緒に形にしています。
これが達成できたら、日本というスケールだけではなく、世界に対しても挑戦していきたいと考えています。大きな挑戦をスケマネのみんなで実現していきます!
日々を過ごしていくなかで襲いかかってきた様々な悩みや葛藤。
そこから抜け出す方法は、たった1つ。
自分の中の ”わからない” を追求すること。
そしてその先にある最適解を自分で導きだし、手にすることでした。
これにて、スケマネ 天野 友貴 さんのインタビューは終了です!
ここまで読んで頂きまして、ありがとうございます。
少しでもあなたにスケマネの在り方が伝わっていれば嬉しいです。